勝敗がつかない競技は、何と戦っているのか

勝敗がつかない競技は、何と戦っているのか

HYROXのレース会場で、ゴール直前の選手たちを見ていると、不思議な光景に気づく。誰もが、誰かを追い抜こうとしているわけではない。むしろ多くの人は、目の前の空気と、自分の呼吸と、ひたすら対峙している。

スポーツには通常、明確な勝者がいる。けれどHYROXに参加する大半の人にとって、表彰台は現実的な目標ではない。それでも彼らは、8つのステーションを駆け抜け、ローイングマシンを漕ぎ、サンドバッグを運ぶ。では一体、何と戦っているのだろう。

勝敗の外側にある、もうひとつの競技

哲学者のミシェル・フーコーは、「自己への配慮」という言葉で、他者ではなく自分自身と向き合う実践の重要性を説いた。HYROXという場は、まさにその実践の場になっている。タイムは記録されるが、それは他者との優劣ではなく、過去の自分との距離を測るための座標に過ぎない。

ゴールラインを越えたとき、選手が戦っていたのは、「できない」と囁く内側の声だ。あるいは、「ここまででいい」と妥協を促す、日常の惰性かもしれない。勝敗がつかないからこそ、この競技は終わらない。次のレースへ、次の自分へと、問いは続いていく。

もしかすると、スポーツの本質は勝つことではなく、問い続けることなのかもしれない。HYROXは、その問いに形を与える、静かな舞台なのだ。

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